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- 新荘(中世)とは
「新荘(中世)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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新荘(中世) 室町期~戦国期に見える荘園名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新荘(中世) 戦国期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新荘(中世) 鎌倉期から見える荘園名因幡【いなば】国八上【やかみ】郡のうち石田【いわた】新荘の略称で,石田荘・石田本荘に対し新荘・石田新荘という正安4年3月20日法眼継誉所領譲状(勝尾寺文書/箕面市史史料編1)に「いわた(荘)」とならんで「新庄」と見えるのが初見石田荘が成立したのち,その周辺が新たに開発されて成立した荘園で,石田本荘が文永3年12月15日尼善智譲状(高野山文書/鎌遺9615)に初見するから,(石田)新荘の成立もこれ以前のことに属すと考えられる石田(本)荘とともに高野山領荘園の1つで,元亨4年正月16日前大僧正某附属状(久我家文書/国学院雑誌58-3)によって前大僧正某から太政僧都公厳に譲られている国土地理院発行の5万分の1地図(鳥取南部),大江川と八東【はつとう】川に囲まれた地域に「新庄」なる地名の記載があり,この地域周辺に存在した荘園と推定される... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新荘(中世) 南北朝期~戦国期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
新荘(中世) 鎌倉期に見える荘園名和泉国のうち春日社領「春日社家記録」の安貞3年6月20日条所載の同月日付の神主泰宗の廻文に「先日申請候和泉国新庄社解一紙并寄進状尓候」と見え,具体的な内容や経過は明らかではないが,当荘に関して訴訟があり,近年裁許があったもののその甲斐がないため,今後のために公文所下文を申し請うべきと考え,社解と寄進状とともに廻文したとあり,さらに神人殺害に関連して,神人の交名を書き入れるように求めている当荘に関して複雑な事情があったものと思われる現在地等比定地などについては未詳... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」